いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2019.03.22
テーマ
第123-124回 片柳義春さんは農業生産法人なないろ畑の代表取締役です。
ゲスト
片柳 義春 氏 (かたやなぎ よしはる)

対談内容

いずみ
どのような農場なのですか?
片柳
農場でありますがみんなで農家仕事をするところで、会員制で仕事をします。農作物の農薬や遺伝子組換、有機栽培など本当なのか、安心安全を求めて、自分達が自分で食べるものを作ります。そして農業をやってみたいという方も大歓迎です!
いずみ
私も食育を通じて、つねづね農業には関心があり、市民農園もやってみようかとも考えてみました。しかし農地や水、交通手段、ノウハウの問題があり、妄想で終わっています。(笑)
ちょっと畑に携わってみたいなんていう不謹慎な考えで参加してもよいのでしょうか?
片柳
もちろんOKです!やってみたいけど自分では無理だという方はたくさんいますので大丈夫です。みんな始めは知らないことだらけでお互いに学び合いながら農業をやっています。
もちろん私が先頭に立っていますので心配ありません。
農家さんは現在、後継者不足に悩んでいますので、市民の皆さんが農業の知識や体験をすることで、救われるのではないでしょうか?
いずみ
なないろ畑に賛同参加したい人はどうしたらよいのですか?
片柳
直接畑か直売所に来るか、FacebookやHPの連絡先に電話してください。
畑の見学会もしていますし、お縁日やもちつき会も開催していますので、ぜひ気軽にご参加下さい!
いずみ
畑はどこにあるのですか?
片柳
座間市栗原に25000㎡、上草柳に5000㎡、長野県に古民家と山村田畑があります。
多くの方々の小さな力でもいいですから、パッチワークのようにつないで仕事ができたら嬉しいです。

もちろん農作物の購入だけでもOKです。中央林間の直売所は、火・木・土と採れたての野菜を購入できます。
いずみ
片柳さんはアイディアマンで行動力がすごくありますが、どんな少年だったのですか?
片柳
昭和39年、オリンピックの年、小学生の頃、祖父母が中央林間に住んでいたので東京から遊びに来ました。その頃の中央林間は草ぼうぼうで轍(わだち)もないくらいで、家の中に野生の小綬鶏(こじゅけい・キジ科の鳥)が並んで歩いていました(笑)
高校生の思春期に今で言う登校拒否になり(笑)、中央林間の自然と畑が私の救いの場所でした!
いずみ
情熱的な片柳さんにそんな青春時代があったのですね。
生まれ育ちは?どんな家系ですか?私と同い年ですね!
片柳
1957年、東京・新富町に生まれ、実家は家の欄間(らんま】を作る職人でした。
先祖は江戸時代下級武士で、幕末の上野・会津の戦いで敗れ、新富町に隠れていました。明治20年に特赦をもらい、伊豆から私の曾祖父さんの江川太郎左衛門さんが養子に来ました。この人は偉い人で、韮山の反射炉に関わった人でもあり、二宮尊徳氏の教育論に同感し弟子でもありました。
いずみ
すごい!NHKのファミリーヒストリーみたいな家系ですね。
そのひいじいさんの血が今の片柳さんに受け継がれているのですね!
片柳
慶応中等部の3年の時、現代国語の先生から作家論の研究課題が出て、「宮沢賢治」を勉強しました。休みには、盛岡・花巻・遠野を歩き回りました。教育だけでなく、農業も大切に。自給自足の生活を大切にし、農業に芸術感を持った人だと知りました。これが私と農業の結びつきだと思います。
高校生のときは収容所のような学校がイヤで登校拒否になり、大学の裏山の空き地に畑を作る許可をもらい、一日中畑をやっていました。
3年生の冬、進学が危ういと先生から通告があり、とれたてのさつまいもを教員室に持って先生方に振舞った!というエピソードあります(笑)
いずみ
食べ物を配って無事大学へ(笑)
片柳
大学は文学部教育学部に入り、日本の教育がなぜ今日のようになったかがわかりました。
いずみ
これからの片柳さんの夢や希望は?
片柳
日本農業が危ない時代になっています。
生存の条件として、食べるもの、それと健康に生きることです。
安心安全な食を目指して農業をし、その仲間を増やしていくことが私の希望です。
いずみ
私もぜひ仲間入りさせてください。
そしてクッキングスクールの生徒さんのメニューに、なないろ畑の野菜を使いたいです。
孫と一緒に「土いじり」に行かせてくださいね!
なないろ畑さんにエールを送ります!