瀬谷俊二郎さんは大和クッキングスクール男性料理クラスの10年選手です。このお正月も瀬谷家のおせち料理は瀬谷さんの作品でしたか?
10年間、月に1回、まじめに通っていらっしゃる瀬谷さん。いつもにこやかでソフトで、その上オシャレ!気を使っていらっしゃいます。
お話も上手ですし、助手さんの人気者ですよ!
11月のお料理教室の時に、「やまと川柳」を11月から始めましたので一句お願いします!と申し上げたらその場でサラサラと。
その川柳が見事入賞いたしました!おめでとうございます!
ちょうど家内が入院して、家の中を一人でやらなくてはならなくなり、大変な時でした。その時の私の心を読みました。
「妻病みて 家事の重さを 思い知る」
その句を見たとき、私は言葉に詰まってジーンとしてしまいました。
「実感」の一句だと感じ入りました。
スカイビル5Fのギャラリーに貼り出してありますが、瀬谷さんの川柳を読んで泣いている男性がいらっしゃいました。その方は昨年奥様を亡くされた方で……共感そして反省したとおっしゃっていました。
瀬谷さんは文を書くのがお好きですか?
私は色々な会に所属しており、文章を書いています。
64歳のとき、「ピンコロ倶楽部」を、「リタイヤ」間近な友人と12名で発足しました。
「人生は達者でぽっくり」が何よりだということで。
モットーは「3ソー2カン」。ソーは聡明・壮健・爽快。カンは感動・感謝です。
ゴルフも大好きですが最近は「アルチューゴルフ」をしています。
いえいえ(笑)
体のリハビリ目的で、スコアは全く期待しない、歩き中心のゴルフのことです。(笑)
安心しました。いつも前向きで相模カンツリー倶楽部でゴルフはするし、19番ホールではお風呂に入ってお酒とおしゃべりを楽しんで6時に帰宅する。
お料理教室に通うし、しいたけを育てて販売する会社をつくるし、といったアクティブな82歳の瀬谷さんですが、
今、心がけていることは何でしょうか?本当に頭がしっかりしていますね!
リタイヤーしてシルバーになっても人間関係や社会とのつながりを保つために必要なことがあります。
「カミモイム」勘違い・身勝手・物忘れ・イライラ・無気力です。
これは認知症の予防にも役立つようです。人とのお付き合いで大切なことです。
瀬谷さんは82歳というのにものすごく頭が冴えていますね。びっくりです。もともとはどんな少年だったのですか?
父が鉄道の関係だったので転勤が多かったです。私は昭和11年、芦屋で生まれました。空襲がひどくなり、学童疎開をして終戦を迎えました。
9歳のとき、8月15日の玉音放送の記憶は何かよくわからない感覚と、今度から空襲がなくなるかもしれないという安堵の気持ちもありました。
東京に戻り、公立の大学に入り、三菱油化という企業に入社しました。
昭和30年代は日本では高度成長期でしたから、瀬谷さんも朝から晩まで休みなく働くモーレツサラリーマンだったのですね。
大和に越していらしたのはいつですか?
30代後半、自宅がほしいということで南林間に越しました。
庭にはこじゅ鶏(野生のにわとり)を飼っていました。
開拓生活を楽しんでいたかもしれません。通勤時間は丸の内まで片道1時間半~2時間で、人生の何分の一かが通勤時間でした。
当時は麻雀やゴルフが盛んに行われていましたが、私が相模カンツリーに入会したのは定年近くになってからです。
人生の長い時間苦楽を共にしてくれた最も大切な伴侶・妻への感謝です。
そして自分の死について…
「散る桜 残る桜も 散る桜」良寛
なかなか思うようには行きませんが、現世では精一杯努力して、生きがいを全うしたいものです。