いずみの部屋へようこそお越しくださいました。念願かなって嬉しいです。今日は小別所さんの人となり、昔のお話を伺いたいと思います。
もともとは幼稚園の先生というから驚きです。どんな先生でしたか?
幼稚園で一番怖くて、優しい先生という子どもたちの評判でした。
2人の子供の子育てがあり、家庭と仕事の両立はたやすいことではありませんでした。
女性が外で働くことは家庭の隅々まで心までしわ寄せができます。
しかし世の中で活躍する女性が増えなければ良くならないと思っていました。そして女性をしっかりと応援したいという思いが強くなりました。
38歳で幼稚園を卒園し、何かやろうと考えましたが、そこには何もできない自分がいました。何をしたいのか自問自答の日々、心理カウンセラーの勉強、幼児新聞作りも学びました。
私は小別所さんは政治家がピッタリかと思うのですけど(笑)
そして天職となる情報誌にたどり着いたのですか?
「リビカナ」という情報誌の会社に勤めました。諸事情でリビカナがうまくいかなくなり、残った女性従業員3人でリビカナを発刊しました。その4年間はまるで吸い取り紙のように情報を吸収し、飛び回り、広告を頂き、編集発刊、また数字も上げなくてはならず…
現在の小別所産の下地作りとなったわけですね。
そして「リベルタ」の起業になったのですか?男社会の中で大変だったでしょう。
リベルタの名前の由来は?
はい、42歳でリベルタの社長になりました。社長1人と従業員3名のスタートです。リベルタという言葉はイタリア語で、自由を意味します。
実際にはリビカナに近い名前を付けようと選んだ名前です。
当時はまだ会社として起業する女性は少なく、周りの目も銀行も冷ややかでした。
情報誌の発行は毎週でいつも追われていました。ストップしたら発行できません。夜中はもちろん、朝まで仕事をしました。
私にとっては毎週毎週子供を産んでいるようなものでした。
しかし、42歳という年齢は起業をするのにはベストでした。
まだ若さもパワーもある。過去の経験・実践もある。
まだ未来もある!
まさにその通りです!42歳前後の皆さん、勇気を持って何かを始めてみてください。ベストなタイミングだったのですね。
ところで、リベルタ第1号はどんな紙面でしたか?
平成元年、大和南の小さなアパートで始まりました。当時は日刊新聞の縮小版として、ニュース、行政のネタを拾いました。
大和市がソフト・ハード面とも変革の時期であり、相鉄線の地下化、小田急ロマンスカーが停車、田園都市線が中央林間まで開通と、たくさんの記事がありました。それを思うと現在は大和市街は成熟期に入っていると思います。
そうですね、読者のほとんどは女性です。女性に支持されなくては情報誌はやっていけません。お財布を握っているのは女性。
12年前に地域情報紙→生活情報誌へと方向転換しました。
今ではお料理コーナーをメインに、いかに読んでもらえるか、女性が喜んでもらえるかと考えています。
情報誌も時代とともに変化しているのですね。
リベルタの社屋も小田急線沿いに移転され、仕分けセンターも加わり、大きくなりました。
これからどんなお仕事をなさっていきたいですか?
シリウスという文化芸術ホールが念願叶って出来ました。
文化度をアップするという意味でも大和市にとってとても喜ばしいことです。
6月には「円楽さんの落語」「秋川雅史さんのコンサート」をリベルタ主催で開催致します。
これからますます文化力をアップしていきたいです。
70歳、まだまだやるべきお仕事がある小別所さん。
お身体には十分留意なさって、情報誌を産み続けてください!