いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2021.10.15
テーマ
10/8 & 15 竹下連幸氏は薩駿建設工業(株)の社長です。
ゲスト
竹下 連幸 氏

対談内容

いずみ
竹下さんは元FMやまと社長というお立場で、この放送局をずっと支えて下さいました。ありがとうございます。
80才!とてもお若いですね。
この度タウンニュースで、「毎朝、登校見守り30年」ということで、下鶴間の小学生を支えていらっしゃるという記事を拝見しました。
竹下
そうなんです。30年以上毎朝、大和小学校の横断歩道で黄色い旗を持っています。
50年ほど前に会社を立ち上げ、近所の子どもに朝「おはよう」「いってらっしゃい」と声をかけたのがきっかけです。その子が親となり、じいとなり…(笑)
いずみ
「登校見守り旗振りおじさん」として、近所では有名人ですね!
暑い日も寒い日も…本当に頭が下がります。
竹下
私は子供から元気をもらっている!と感じています。
「やらせてもらっている」という気持ちです。
大和小学校は911名の児童がいますが、うちの前の横断歩道は約400名が通学しています。楽しくやらせていただいています。
いずみ
元々は教師になりたかったという竹下さんですが、ここまでの道のりは?会社を大和で設立したきっかけは?
竹下
私は鹿児島県川内市の出身です。近所には西郷さんが連れて歩いた秋田犬の出生地があります。7匹いたようですが、銅像の犬は「ツン」というお気に入りの犬だったそうです。
東郷平八郎氏も住んでいたのですよ。
いずみ
NHKの西郷どんのように、幕末から明治にかけての改革の時、薩摩は沢山の偉い方々を輩出している場所ですもの。
そのDNAを脈々と受け継いでいるのではないですか?
竹下
土地がシラス台地であまり良くないので、長男以外は外に出るしかないんです。それか勉強して偉くなるか!
島津の教育の体制は江戸時代から進んでいたようです。
先輩が後輩を教え、またその下に教えていくという1つのグループがありました。
江戸から離れていたので、交易も軍事も進んでいたようです。

父は、郵便局長、母はしっかりした人で、100才まで天寿を全うしました。高校からは鹿児島を出て東京に行き勉強しろと言われました。
祖母がまたまたすごい人で、明治時代に東京の女子大学を出て、どんな貧乏でも学校だけは行きなさいという女性でした。
いずみ
教育熱心な家族に囲まれた環境だったのですね!
竹下
高校は沼津に行き、ホッケーをやりました。高1の時はレギュラーで、駒沢競技場で御前試合(今の上皇陛下)をしました。
充実した学生生活でした。
いずみ
運動神経も良いし、体格も良いし、心の持続力はあるし!
全て長く続いている!
奥様主宰の「大和童謡の会」では、サンホールつるまに歌声をお届けしているとして、寄附をずっとなさっているとお聞きしました。
竹下
こちらも出向いて歌を歌わせてもらっています。今年は9月にタオル200枚と寄附をしました。気持ちを繋げることです。
いずみ
80才までどのような人生でしたか?
竹下
50年前に会社を立ち上げましたが、人に助けられたこと!
チャンスに恵まれたこと!それから時が解決することも多いので、じっと待つこと!常に最高の方法を考えています。
これからも自分のためだけでなく、人のため、大和のため、ふるさとのために頑張ります!!