いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2020.02.21
テーマ
第171回 92歳の大幡鳳苑氏は小原流名誉会員です。
ゲスト
大幡 鳳苑 氏

対談内容

いずみ
大幡紀子先生は華道小原流の名誉会員で、家元代行講師として全国支部へご指導なさってきました。大和では文化連盟会長も務められご活躍なさっています。
先ほど「92歳」とお聞きしてびっくりしました!おひとりでシリウスまで歩いていらしただけでもすごいのに、頭の回転は早いし、私は到底真似できません!
昭和2年生まれ、20歳で終戦を迎え…本当にご苦労あったと思います。玉音放送はどのように受け止められましたか?
大幡
その日は午前中竹やりの練習、お昼から大切な放送があるというので、みんなで聞きました。「ウソだ!」とみんなで泣き崩れました。
野宿もして食べ物も家もなく、大変な世の中でしたが、自分一人じゃなくて、国民全員だったので、支えあって生きてきました。
その日を境に人生が180度考え方が変わったような気がします。
「女性は家にいるもの」という私の母世代の考え方から、「社会に出て働く」ということが許される世の中になりました。
私はねいやと書生が家の中にいるお嬢様育ちで(笑)お金のこともわからず(笑)製薬会社の博士の助手?雑用係として昼は働き、夜は花嫁修業として、洋裁・華道・茶道・明大などに通い、時間を使いました。初めてのお給料はとっても嬉しかったわ!
いずみ
女性の地位が戦後大きく変化したのですね。
大幡
「女の幸せ」って何だろうとつくづく考えました。
親が決めた「許嫁(いいなずけ)」がいましたが、振り切って結婚しました。結婚は、お金や学歴や家柄でもなく好きな人、尊敬できる人と一緒にいることだ!と決心したんです。
でも昔は恋愛感情は心に秘めているだけでした。
職場で見かけた薬専卒業の「進作さん」は私の初恋の人で、その方とめでたく結婚♡
いずみ
すごいですね♡愛の力♡大幡先生の心の強さ♡
まいりました!
華道の道に進もうと思ったきっかけは?
大幡
私、もともと華道は好きではないんですよ。
親に言われてシブシブおけいこしていただけです。
しかし、小原流の生け花に出会って世界が変わりました。
いずみ
先生は昨年、自分史として自分の作品集、花とともに「憬」を発行されました。本当に実行力ありますね。
92歳、ますます輝いています!
これからの人生の夢は?
大幡
私は主人にも先立たれ、一人暮らしなんです。だから何もかも自分でやらなくてはいけない。これは大変なことなんです。
1日1日を精一杯生きること。
食事を自分で作って食べる。運動は必ず水泳に行っています。
毎日毎日が時間いっぱいに生活しています。
脳を使う、身体を使う(笑)
いずみ
私の人生の指針にさせていただきます!
100歳、120歳まで、そのままでお元気にお過ごしください。
そして高齢者の方に勇気をくださいね♡
今日はありがとうございました。
大幡
(作品集より)   お礼の言葉

この作品を考え始めたのが紅牡丹の盛りのころでございました。

あれから、あっという間に季節が進み、同じ場所から大人の頭ほどの紫陽花が土に伏して、見事な色の混じりを見せています。
少しゆとりのできた今、懐かしい姿、顔、声が聞こえ、足音までも聞こえてくるような、こんな贅沢なひとときを味わいながら、令和の今を心新たに「花と共に」「花を友として」残り少ない人生を心豊かに過ごしてまいりたいと存じます。

皆様のご多幸と、益々のご清栄をお祈り申し上げます。

                       令和元年6月15日
                           大幡鳳苑