いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2019.12.06
テーマ
第161回 大和商工会議所 新会頭 河西 正彦氏です。
ゲスト
河西 正彦 氏

対談内容

いずみ
河西さん、大和商工会議所のご就任おめでとうございます。
私は本日初めてお目にかかりましたが、とてもお若い!76歳とは思えません!そしてとても勉強熱心と伺いました。お生まれはどちらでしょうか?
河西
昭和17年、東京世田谷で生まれました。父は軍人で戦死しましたが、母は大正8年生まれのものすごく教育熱心な母親でした。例えば床の間の前に正座させられ、かかっている漢詩を読ませました。
「男子ひとたび志を立てて故郷を出るからには、成らずんば死すとも帰らず」みたいな…(笑)
ものさしが折れるほどビシバシとした教育でした。
いずみ
まさしく「孟母三遷」のような教えを日々受けたからこそ、今日の河西さんになったわけですね。素晴らしいお母様です!
河西
戦後、庭の一角に借家を建て、オーストラリア人に貸していました。
母は英語で対応していたことを高校生の私はびっくりして見ていた気概があります。
父が戦死して母子家庭で次男坊だったので、高校は諦めていましたが、おじが工面してくれ高校を卒業できました。
それから就職し、昼は会社で働き、夜は夜間大学に行き機械工学や応用物理を学ぶといった2足のわらじ生活でした。
流れるように働きその会社に骨をうずめることが当たり前の時代でした!
いずみ
2足のわらじを10年続けてこられたのは強い心と健康な身体があったからこそです。
そして昭和47年にイースター技研に入社し、お見合い結婚して、子供3人を授かり、順風満帆だったのに、奥様が43歳でお亡くなりになり……小さい子供を置いてさぞ無念でしたでしょう。
河西さんも男で一つで今日まで子育てしながら、会社、仕事にまたしても「2足のわらじ」!
河西
あの時は無我夢中で日々やっていました。
子どもたちも大人になり、11月には息子に社長の座を譲りました。感無量です。自分の人生が報われた感じがします。
いずみ
ご苦労が多い中、立派にお子様を育てながら、イースター技研も大きくして、本当に頭が下がります!
会社でのご苦労は?
河西
オイルショック、円高ショック、バブル崩壊、リーマンショックなど4~5回の荒波を乗り越えてきました。今日の形があるのは、優秀なメンバーが会社を支えてくれたからです。
いつも前向きで、不況になった時は、その時しかできないことを見つけて実行する!日々勉強をすることです。
いずみ
いつもアンテナを張りながら周りのスタッフに感謝を忘れない心、見習いたいと思います。
今後の大和商工会議所をどのようにしていきたいですか?
河西
大和は小規模の商店・会社がたくさんあります。そんな方に将来の希望を持ってもらいたい、そのためには会議所で勉強会やアドバイスができるような形を作っていきたいです。
必ず未来が広がると信じています。
いずみ
最後に河西さんの夢は?
河西
人生最後の最後まで夢を持って邁進したいです!
残りの人生は人様のお役に立てる仕事をしたいです!
いずみ
力強い決意と夢をありがとうございました。
趣味の散歩と庭いじりとゴルフ!太陽の下で思いっきり楽しんでください。ありがとうございました!