いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2019.07.26
テーマ
第141-142回 山崎 貞雄氏は令和初の叙勲者です。
ゲスト
山崎 貞雄 氏

対談内容

いずみ
山崎さん、旭日双光章の叙勲、誠におめでとうございます。
75年間の人生のご褒美です。素晴らしいことです!
山崎さんは元・大和商工会議所会頭、そして㈱ニッコーの会長です。
今日はここまでの人生をお話してくださいますか?
叙勲のときは皇居に入られたのですか?ドレスコードは?どんな感じでしたか?
山崎
男性はモーニングか紋付袴、女性は着物がほとんどでした。
私は紋付袴で叙勲を受けました。天皇陛下がお出ましになる前の時間がしばらくあったのですが、自分の人生を振り返る良き時間でした。
人との出会い、周りの方々のお力を十分に感じて感謝しました。
特に女房の!とてもよくできた女性です!
いずみ
今日は75年の山崎さんの人生を振り返ってみたいのですが、山崎さんは横浜生まれ、熊本育ちですね。
山崎
熊本県八代で育ちました。海も山も美しく、水も食べ物も美味しいところです。父親が戦後、豆腐屋を始めました。
高校を卒業する頃、県の豆腐組合長から、「東京で食品の勉強をしないか」という話があり、東京行きを決めました。

昭和38年9月30日、18歳の時上京しました。湯島天神の下の下宿に着いて、喉が乾いて水を飲むとびっくり!カルキ臭くて美味しくない水!それから次の日の朝会った人に「おはようございます」と言ったら相手がキョトンとしているから、東京では知らない人と挨拶しないんだな、とびっくりの連続でした。
それから農林省の食品研究所という食品については日本のトップ研究者150人位が集合している所でお世話になりました。

私は大豆の研究チームに入りましたが、知らないことを教えてくださり、昼間は勉強のコミュニケーション、夜は飲み二ケーション(笑)でものすごい勢いで勉強になりました。
いずみ
㈱ニッコーの食品知識の原点になったのですね!
それで大学にも通ったとか?ハードスケジュールですね。
山崎
夜は東京理科大学の夜学に通いました。
理学部の化学科だったのですが、そこがまた大変で!
入るのは楽だが、卒業は難しい!
化学の勉強はしていないので、高校生向きの参考書で一から勉強しながら夜学に通いました。もう必死です。
朝は3時くらいまで勉強し、自分の一生でこれほど勉強したことはないです。えらいところに来てしまった!と思いました。
今でも落第した夢を見て、ドキドキして飛び起きるんですよ!
いずみ
昼も夜もたくさん知識を得て、山崎さんの基となった学生&社会人生活でしたね。
それから紀文に入社してサラリーマンとなりましたが、どうして大和で㈱ニッコーを立ち上げたのですか?
山崎
大和は女房の地元でした。昭和59年、私が40歳の時、会社を立ち上げました。
それまではサラリーマンをしていましたが、長男がアレルギーとアトピーで死ぬんじゃないかと思うほどでした。食べ物を見直そうと「自分の子どもに食べさせたいものを作りたい!」と会社を作ったのです。
いずみ
すごい父親です!子どものために会社まで作っちゃうんですから!
アトピーの子どもが今のFMやまとマーサンになったのですね!それを感じさせないほど、マーサンは健康になっていますが!
山崎
会社を起業して最初に作ったのが「中華まんじゅう」でした。それが売れて売れて、1日時間しか寝られないほど働きました。
ところがある日女房が、「お父さん、お金がないよ」と言うのです。
調べたら原価計算が出来てなく、作れば作るほど損をする!ということに気がつき(笑)金銭感覚がないことを反省しました。
いずみ
そんな笑い話もあったのですね。山崎さんは現在㈱ニッコーの会長になられて、長男の雅丈さんが社長、次男さんも同じ会社で働いていらっしゃいますが、2人の息子を同じ会社に入れるということは難しいことがありませんか?
山崎
はい、世間ではよく問題になっています。うちは兄と弟が10歳離れていて、弟は兄の意見に「はい」しか言いません。
自分の意見が違う時は何も言わないで黙って飲み込んでいます。
母親がそのように教育したのかもしれません。
夫婦でも同じことかな?私も黙っていることが多いですよ(笑)
いずみ
我が家もそうです!主人が黙っていることが多いのは「NO」の証なのかも?気をつけなくては(笑)
そしてボランティア活動として、「大和掃除に学ぶ会」をなさっていますね。
山崎
毎月第2木曜日朝6~7時、大和駅前でお掃除会をしています。どなたでも参加OK、遅れてきても、先に帰ってもOKです。
利他の精神でできていない自分を磨くためにやっていることです。
基地の外人も参加しています。日米交流かな?
いずみ
ずっと続けていくことは「心の力」がおありになるんですね。
素晴らしい精神だと感じます。
最後に75歳の山崎さん、これからの人生についてお聞きします。
この大和の街、そして自分の会社、そして自分について、100歳人生でやりたいことは何でしょうか?
山崎
激しく世の中が変化していく中、大和をきれいにしていきたいです。
㈱ニッコーでは、お客様に喜んでいただける商品を作り続けていきたいです。
自分のことは健康と断捨離!
不要なものは捨てていって、最期死ぬときはスーっと消えていくようになりたいと願っています。(笑)
断捨離では、ネコのサッちゃんと妻すずこだけは最後まで捨てないよ!!

いずみ
(笑) 「断捨離で 
     捨てないものは 
          ネコと妻」  泉一句
少なくともあと25年、100歳までは生涯現役で頑張ってください。楽しいお話をありがとうございました!